盃に満たされたそれに丸い月が映し出され、初めて今夜が満月だと知る。
道理で眼にする風景が明るい筈だ。
「……風流やね」
背後で書類を纏めながら恨めしそうに溜息を吐く部下を、敢えて振り返らずに盃を傾け、のらりと立ち上がる。
「イヅル、風流ついでに散歩行ってくるわぁ」
からからと盃が机上で転がる。
「ちょ、た、隊長ォ!!?」
日常茶飯事な彼の叫び声を耳に留めたまま窓を飛び越し、明るい闇に紛れた。
【同じ月をみている】
一歩、また一歩と足を踏み出すと、かさりと小さなその音が静かな場所に響いた。
闇にぽかりと浮かぶ満月を仰ぐと、足元を照らす力強い光が木々の隙間から煌煌と差し込む。
その情景のなんと美しいことか。
ゆっくりと歩を進める。
誰一人として擦れ違う者も見掛ける者も居らず、此処には自分一人しか存在しないようなそんな錯覚を覚え、軽い優越感が脳を侵す。
本当は、此処を訪れるのはこれが初めてではなかった。
満月の夜には決まって引き寄せられる場所。
そこから微かに耳に届く水音に、目的地が近い事を知らされる。
一際大きな老木の陰から覗くそこは、この世のものではない。
何もない。
害になる物は何一つ。
存在(あ)るのは、月明りを反射して薄く輝く水面と、その場に住まう小さな生命。
それから――…
月に誘惑された、女。
水面に散らばるその金色の髪が、水の中に在って尚且つ、光を浴びきらきらと輝く様をただ阿呆のように眺める。
そこに浮かび漂う女の肢体は、至極当然の様に何も身に着けてはいない。
ふわふわと何もかもが美しく、そして儚い。
ふと眼を落とした先に脱ぎ捨てられた死覇装。
触れると、愛しい女の匂いがした。
彼女の霊圧が上昇し、垂れ流してしまったそれが捕らえられる。
しまった、そう思った時には後の祭りで。
―――何故?
何故今夜に限って、失態を演じてしまったのか?
光射す暗闇で、確かに眼が合った。
観念し手を振ると、眉間に皺を刻んだ彼女が怪訝そうに近付いて来る。
「……返して」
白い手が、まっすぐに伸びて。
その腕の求める物が、自分でない事だけは理解(わか)った。
だから――…
ほんの少しの嫉妬と、意地悪を君に。
「返さんへん言うたら?」
「このまま帰るわよ」
君なら、そう言うやろ思うてたけど。
思わず零れる微笑。
「そら大胆!飛び付く男、ぎょうさんおるやろ」
散々焦らし伸ばした腕を、その水(うち)に強く引き込まれ、水飛沫を浴びながらそのままの姿で水中へ。
沈むそこは、思った通りとても心地が良い。
ざばりと立ち上がると、女の肢体が眼の前に在って。
触れたいと、想う心を隠すように、零れる言葉がそれを茶化す。
「…水も滴るええ男やんなぁ」
顔に掛かる前髪を掻き上げた。
照れ隠しだと、君が気付かぬ様にそっと。
「何しに来たのよ?」
「天女の羽衣を盗みに」
「は?」
いつもの呆れた表情を、僕に魅せる。
見飽きはしない。
君のどんな表情も。
「知らんの?天女の羽衣」
「知ってるわよ、そのくらい」
いや、君は知らへんねや。
どんなに男が天女に恋焦がれたんか。
どんな想いで羽衣を隠したんか。
「きっとな、天女は想像を絶するくらいにべっぴんさんやった思うんよ?せやから男も天に帰したのうて隠したんやろなぁ」
知らへんねや。
「…それとこれと何の関係があるのよ?」
「そんくらい裸で水浴びしとる乱菊が綺麗いうことやん♪」
訝しがる表情はそのままで、僕の顔を見上げたまま、
「早く帰んなさいよ」
呟く様に吐き捨てる。
「冷たいなぁ」
帯に手を掛け、着物を剥ぎ取りながら小さく抗議。
そうしたら、僕の行動に慌てたように、腕を掴む。
「ちょっと!あんた何やってんのよ!?」
「なにて、びしょ濡れで帰れへんやろ?暫くこれ、干しとくんや」
ぎゅうと着物を絞り、草の上に放った。
透き通る水面から覗く芸術品の様なその肢体から、視線を外せる術がない。
追う目線の先に何が在るのか、自然と気付く。
右鎖骨の少し上辺り。
古疵。
君が僕を、想い忘れない理由。
「……卑怯者」
せや。今頃気付いたんか?
「なんや、まだ気にしとったんか?」
笑えるくらい、わざとらしく紡ぐ台詞。
君が僕を拒めなくなることを、思い出させる。
多分、気付いてんやろね?
抱き寄せると、疵跡に彼女の頬が触れた。
痛みの消えて久しいそこに、柔らかな唇が口付ける。
君の後悔を知りながら、君の弱みに付け込む僕を、どうか許さないで?
「大丈夫や、死なへん。死神になって、少しは強うなってんから」
背に回された両腕と、胸につけられたその耳が、彼女の熱を伝える。
優しいその熱に、眩暈が起きそう。
今すぐに彼女が欲しくて、抑えられない欲情に、ただ困った表情で微笑(わら)うしかなくて。
そんな想いを見透かした様に、その唇が僕のそれに近付き、侵入する舌が強引に絡まる。拒絶する理由など、皆無に等しい。貪る様に彼女を求める。
時折漏れる甘い溜息は、どちらのモノだろう?
「…なん…や乱菊…珍しな?」
「何…が?」
「自分から求めてくるん、初めてちゃうか?」
「…そうだった?」
初めてや。
いつも求めるんは、僕やったから。
狂おしい程、君に触れたい思うてるんは、いつだって僕の方。
ぱしゃん。
魚が跳ねた。
月が滲んだ。
指先を腰から下へと這わせ、滑らかなその肌を確かめる。
軽く触れるその秘部の湿りは、彼女の内から溢れ出すものなのか、場所によるものなのか、その実どちらでも良い。
急く唇が、形の良い胸の突起を含み、焦る舌が丁寧に味わう。
引き寄せ、深く潜る水の中、逃れる様に水面に向かう彼女に接吻、そして秘部への挿入。
不思議と抵抗はなかった。彼女の表情にも、苦しげなそれはない。
背に回された指が小さく刺激を残す。此処が陸地なら、彼女の快楽に溺れる声が、耳に届いたことだろう。
繋がったまま水面に頭だけ出し二人、存分に肺活動を行う。
「…ふぁ…あ…んッ……」
抱え込んだまま奥(なか)を犯す僕を、彼女の秘部がキツく咥え込んでいく。
「身体も…積極的やな」
煽られるそんな言葉が、君の熱を上昇させる事を、僕は知ってる。
「……ッ…うるさ…ぃ」
そんな自身を、淫らだと感じている事を、僕は知ってる。
「…ギンッ、中…で…」
けれど、そんな君を、僕が誰より愛しく感じている事を、君は知らない。
「だ〜め!そろそろ声聞きたい」
彼女の切願を、やんわりと却下する。
「ッあ……んぁ…ギンッ!」
「そないな表情(かお)しても駄目」
君から求める事なんて、この先何度訪れるか理解(わか)らへんねやから。
掴んだ腰を引き寄せ、最奥に侵入する。抉る様に深く。
上がる艶かな声が静かな場所に響く。
「…ふぁ……ッん…ぁあ…ッ」
今だけ――…
この腕の中で乱れる華は、僕だけのもので。
「…乱菊はな…こうやって淫らな方が…綺麗なんやで?」
上がる声も、伸ばされる腕も、開かれる唇も全部、僕のもので。
「ギ…ンッ…ぁ…」
何度も貫いて。
何度も掻き抱いて。
何度も愛しい女の名を呼びながら、果てる。
それでも、足りない何かを探る様に白い肢体を引き寄せる。
「このまま此処に沈んだら…綺麗な君を誰にも見せんでええなぁ…乱菊、一緒に溺れへん?」
独占慾など。
とうに捨てた感情だったのに。
交わした嘘ばかりの接吻。
「いいわ…よ、あんたとなら……」
嗚呼、僕はまた君を傷付ける。
堪忍な。
愛しい君。
「…乱菊は、ええ女やな…」
受け入れる彼女の欲望が、解き放たれるまでの夢物語も後僅か。
瞳を閉じる。
君を想って。
冷たく心地良いこの場所が、僕の想いを忘れさせてくれるといい。
不様なこの感情を、殺してくれるといい。
ぱしゃん。
水飛沫、また丸い月がゆらゆらと滲んだ。
【終】
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Thanks for you!!
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「溺れる魚」のギン視点です。
コウ太さんの書かれるギン乱は本当にツボに入りまくりで、
特にギン視点の話はメロンチョ(メロメロの最上級)になるくらいです。
すばらしいお話をありがとうございました!
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